東京高等裁判所 平成8年(ラ)960号 決定 1998年8月31日
抗告人(申請人) 秀和株式会社
右代表者代表取締役 A
右代理人弁護士 河本一郎
渡邉幸則
近藤浩
江口直明
山本英幸
藤井康広
相手方 株式会社いなげや
右代表者代表取締役 B
右代理人弁護士 草野耕一
手塚裕之
岩倉正和
山口勝之
太田洋
佐藤丈文
佐藤理恵子
主文
本件抗告を棄却する。
抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
第一抗告の趣旨及び当事者の主張
一 抗告の趣旨
1 原決定を取り消す。
2 相手方の第四五期事業年度(平成四年四月一日から平成五年三月三一日まで)以降の株式会社ライフボックスへの貸付け及び増資資金の払込みに関する次の検査事項を調査させるために、検査役の選任を求める。
(検査事項)
(一) 相手方のライフボックスに対する貸付金の回収可能性及び保有株式評価に関する一切の事情(特に、ライフボックスの各店舗の収益状況及びその推移、多店舗展開を図るに至った事情、各店舗の立地状況、業界の市場規模の成長度、販売管理費特に人件費が多額に発生している事情、ライフボックス設立から第一号店出店までに二年九月もの期間を要した事情、再建計画の内容等)
(二) 相手方のライフボックスに対する貸付金の回収可能性及び保有株式の評価の適正化に関し、相手方の内部でなされた検討の状況(特に、ライフボックスの再建計画に関し、その実現可能性についてなされた検討の内容及び利用された資料、貸付金回収に至るまでのライフボックスの資金繰りに関してなされた検討の内容及び利用された資料)
(三) 相手方のライフボックスに対する払込増資資金の使途、資金の必要となった事情、ライフボックス事業に関し当時予測された収益性及び成長性等
(四) 相手方のライフボックスに対する貸付金の使途、資金の必要となった事情(特にライフボックスから千代田トラスト株式会社に貸し付けられた事情)、貸付日、貸付金額、利率、金利の支払状況及び返済状況等
二 当事者の主張
1 申請の事由
(一) 原決定六頁四行目から九頁七行目までを引用する。
(二) ライフボックスの経営は、遅くとも平成四年三月の時点において破綻していることが明らかであったのに、相手方の取締役は、ライフボックスの事業継続に関する適切な経営判断をせず、損失拡大阻止のための有効な措置をとらないまま漫然と放置した。また、貸付金の回収可能性を十分検討することなく漫然とライフボックスに資金を貸し付けたり、ライフボックスの再建策を十分構築することなく増資額を払い込み、その結果、貸付累積額三〇億円及び増資払込金額七億円の合計三七億円の債権を回収不能として、相手方に財産的損害を与え、さらに、ライフボックスに対する貸付金について平成六年四月以降の金利を猶予せざるを得なくなった。相手方の取締役は、これにより、相手方に対し、損害を与えた疑いがある。
また、相手方は、平成四年三月の時点において、ライフボックスの資産状態が著しく悪化し回復の見込がないことが明らかであるにもかかわらず、相手方の有するライフボックス株式について、平成四年ないし六年の各三月期においていずれも評価減を行わず、また、ライフボックスに対する貸付金について取立不能のおそれがあるのに、右各三月期のいずれにおいても、法人税法の規定による限度相当額までしか貸倒引当金を計上せず、取立不能見込額の控除を行わなかった。
(三) これらは、相手方の取締役及び監査役について、「会社ノ業務執行ニ関シ」商法二五四条三項・民法六四四条(善良な管理者の注意義務)、商法二八五条の六第三項(株式の評価減をすべき義務)及び公正妥当な会計原則(貸倒引当金の計上)・商法二八五条の四第二項(取立不能見込債権額の控除義務)に、それぞれ「違反スル重大ナル事実アルコトヲ疑フベキ事由」に該当するから、抗告人は、商法二九四条一項に基づき、相手方の業務及び財産の状況を調査させるため、検査役の選任を求める(なお、抗告人は、法令違反として、商法二九四条一項の「不正ノ行為」及び商法二五四条の三(忠実義務)違反をも主張するかにみえなくもないが、主張の要点は、前記のとおりと理解される。)。
2 当審における抗告人の主張の要旨は別紙一「抗告理由書」のとおりであり、相手方の主張の要旨は別紙二のとおりである。
第二当裁判所の判断
一 本件の事実関係
本件記録及び審尋の結果によれば、次の事実が認められる(なお、非訟事件手続法一二九条の二で要求される取締役の陳述は乙一、二、二一において、また監査役の陳述は乙六において(なお乙五、三一)、それぞれなされている。)。
1 当事者
(一) 相手方は、昭和二三年五月二〇日、食料品の販売等を目的として設立された株式会社であり、発行する株式の総数二億株、一株の金額五〇円、平成八年六月現在の発行済株式総数五二三八万一四四七株、資本の額八九億八一一〇万七八五八円で、東京証券取引所第一部に上場されている。
(二) 抗告人は、相手方の発行済株式の二六・一四パーセント(一三六九万一六七〇株)を有する筆頭株主である。
2 ライフボックスの設立
(一) 相手方は、従来、東京を中心とした食品スーパーマーケットの店舗展開を行い、本部と物流センターを中心としたドミナント(領域)形成を狙った出店戦略をとってきたが、昭和五九年ころ、チェーン網の拡大を図るためには、出店エリアをそれまでのエリアの外周に求め、関東地方全域に勢力圏を形成することがグループの戦略の鍵であると考えるに至った。
また、競争力を強化するためには、商業集積の形成が最良の方法であり、そのために食品以外の分野へ進出する必要があり、そのための業態開発がグループ戦略の重要な柱であると判断するに至った。
そして、昭和六〇年には、その一環として、新たにホームセンター(住宅関連商品の小売販売)進出の構想を抱くに至った。
(二) その後、相手方は、相手方内部にホームセンター推進委員会を設置するとともに、外部のプランニングコンサルタント会社にも委託して調査・検討を進め、また、研修のため社員を先進企業に六か月間派遣するなどした上、昭和六二年九月、資本金一億円、全額相手方出資による子会社として、有限会社ライフボックスを設立した(相手方のB代表取締役及びC取締役がライフボックスの代表取締役に就任した。なお、平成五年一月Cは相手方の取締役であるDに替わった。)。
そして、相手方は、出店に関する調査・検討をした結果(出店場所の重要性を考慮して、三社のプランニングコンペによってプランニングコンサルタント会社を決定した。)、平成二年六月、甲府市のベッドタウンで人口急増地域であり、かつ、乗用車利用の顧客を想定した場合に広い商圏が見込まれると判断した山梨県中巨摩郡竜王町を選択し、ライフボックス一号店(竜王店)を開設した。竜王店は、大型家電製品等の高額品も含めた広範囲の商品の薄利多売を目指し、売場面積一〇〇〇坪の郊外型・大型ディスカウント・ストアとして発足した。
次いで、平成三年四月、二号店として埼玉県下に日高店を開店した。
(三) 相手方は、同様の商業集積の発想から、ライフボックスのほかに、不動産関係、食料品製造・販売、店舗・駐車場の保全・管理、書籍販売、医薬品販売等の関連子会社八社を支配するに至っている。
3 ライフボックスの経営状態の推移
(一) ライフボックスの経営状態の推移は、次のとおりである。
三年度 四年度 五年度 六年度 七年度
売上予測 三八億円 四九億円 三八億円
売上高 三四億円 三二億円 三一億円 二六億円 二五億円
販売管理費 一三億円 一二億円 一二億円 一二億円 一一億円
当期損失 九億円 七億円 七億円 七億円 三・五億円
純負債額 一五億円 一五億円 二二億円 二九億円
相手方の貸付金 一六億円 一〇億円 四億円
(累積三〇億円)
(二) ライフボックスの資本金の推移は、次のとおりである。
昭和六二年九月(設立時) 一億円
平成二年七月 二億円
二年一二月 四億円
三年七月 四億九五〇〇万円
四年四月 九億九〇〇〇万円
四年一一月 一一億九〇〇〇万円
七年三月 一億一九〇〇万円(減資)
4 ライフボックスの経営政策の変更等
(一) 竜王店開設後、いわゆるバブル経済が崩壊し、経営環境が変化した状況下において、竜王店では、売上鈍化のきざしが見え、ディスカウント価格によっても、開店当初予想した量販が困難となり、計画どおりの収益を上げることができなかった。
(二) そこで、相手方は、平成三年一一月に中長期五か年利益計画を作成し、平成六年度に営業損益黒字化を、目指すとともに、平成四年三月から六年三月にかけてライフボックスの経営戦略を見直し、売上高拡大中心から収益向上を目指す方向に転換することとし、これに伴いコスト(店舗費用・人件費等)削減、利益率の改善を図る一方、多店舗展開によるチェーン・メリット(多店舗による本部経費の吸収、チェーンオペレーションノウハウの蓄積等)の追求をするための諸施策を行った。
すなわち、商品政策を変更して、ディスカウント型ホームセンターから、大型家電製品や高級腕時計等をやめ、購買頻度の高い日常生活雑貨等の比率を高めたいわゆるバラエティ・ストアに変更することにし、平成四年三月に竜王店の業態変更を行い、二号店の日高店についても、同様に平成四年四月に商品構成の見直しを行った。
相手方は、平成四年三月に中長期一〇か年利益計画を作成し、平成七年度に営業損益黒字化を、平成一〇年度に経常損益黒字化を目指すこととした。
その後は、竜王店の閉鎖も視野に入れて検討を続けたが、開設後二年足らずで竜王店を閉鎖すれば、多額の損失が発生するほか、地元の信頼を失うこと、オーナーとの補償交渉も難航が予想されたこと、中長期損益予測では縮小計画実施後二年目から営業損益黒字化の予想が得られたことなどから、閉鎖は不適当と判断した。そして、コスト削減等の見地から、平成五年五月に、竜王店の売場面積を約半分の五八〇坪に縮小し、残りの部分を地元スーパーに賃貸して賃料収入を得ることにした。
(三) また、平成四年度の甲府店の出店計画を延期し(同六年度に中止)、平成四年六月狭山店の出店も中止したが、他方で、転換後の竜王店と同様のコンセプト(概念)のもとに、平成四年一二月に浦和店、平成五年八月に江南店(埼玉県)、同年九月に境町店(群馬県)をそれぞれ開設し、チェーン店の拡大によるメリットを追求した。
その結果、ライフボックスの粗利益率は、平成三年度の一七・六パーセントから平成四年度の二〇・六パーセントに改善した。また販売管理費の削減により、平成四年度の営業損失は前年比七六・八パーセント(既存店のみでは五六・三パーセント)に縮小した。
(四) しかし、その後も、景気が低迷し、価格破壊といわれる不況が続く状況において、同業態競争者の出店増加に伴う価格競争が激化したこともあって、ライフボックスの利益率は予想どおりには改善しなかった。
相手方は、バラエティ型ホームセンターは、専門性という点で一定の限界があると判断し、新たに、商品の差別化を明確にし、価格競争に巻き込まれることの少ない商品(専門性を活かせる商品)を中心とした商品構成に転換していく経営戦略を模索することとし、平成五年一二月にそのための竜王店改造プロジェクトチームを結成し、具体的な経営計画の検討に着手した。
そして、平成六年度以降、収益性の上がる企業体質への変革を図るため、DIY(Do It Yourself)型ホームセンター、すなわち日曜大工用品等を中心に、インテリア、園芸用品等を付加した専門性の高い商品群の販売へと業態を転換していく方針をとり、平成六年四月から六月にかけて、各店舗につき順次商品構成の変更等を行った(当時、業界誌においても、DIY型ホームセンターが最も有望な業態であると言われていた。)。同時に、平成六年四月、DIY型ホームセンターへの変更を前提にした三か年経営計画及び中長期予測損益計算書(平成八年度に営業損益及び経常損益の黒字化を目指すもの)を作成した。
相手方は、その後の平成六年八月にも、竜王店について、営業譲渡による撤退か継続かの検討を行い、営業譲渡について地元企業と交渉したが条件が不利であった。同時に、営業譲渡、営業継続、営業を中止して賃貸業として継続する案等複数の選択肢について収支シミュレーションを行った結果、DIY型ホームセンターとして継続する方策が最も効果があると判断されたことから、同年九月継続を決定した。
その結果、平成七年度には、前年度比で粗利益率は四パーセントの改善、営業損失の半減を目標としていたが、同年度の実績では、粗利益率が前年比一四パーセントアップ、営業損失も前年比四五パーセント減と、ほぼ計画どおりの改善を示し、相手方は、平成一〇年度に営業損益及び経常損益の黒字化の見通しを得た。
さらに、平成八年度には、第一四半期をとる限りは、店舗レベルではあるが、営業損益が黒字転換した。
5 ライフボックスの資金管理
(一) ライフボックスは、設立当初から、資金需要を、相手方の出資、相手方からの借入れ及び相手方の保証による金融機関からの借入れによって賄っていたが、相手方は、平成四年三月策定した中長期経営計画及び資金計画に基づき、ライフボックスに対する貸付け及びライフボックスの増資に対する出資を行った。
そして、金融機関からの借入れの利率が高いため、平成四年度以降、金融機関からの借入れを減少させ、反面、相手方が資金調達した上で直接貸し付ける割合を増加させる方針をとった。
ライフボックスの借入れ等の変化は、次のとおりである。
三年度(四年三月期)
六年度(七年三月期)
負債総額 四三億八八〇〇万円
四七億一四三〇万円
①相手方の貸付け 九億円
三九億円
②相手方の保証 三一億二七〇〇万円
八八〇〇万円
①②の合計 四〇億二七〇〇万円
三九億八八〇〇万円
金融機関からの借入れと相手方からの借入れとでは、金利に差があるため、これにより、相手方グループ全体として、金利軽減を図ることができた。
(二) また、相手方は、より早期にライフボックスの経営を軌道に乗せることを可能にするため、平成七年四月、平成六年四月以降分につき、ライフボックスに対する貸付金の金利の支払を猶予する措置をとった。ライフボックスに対する貸付金についての貸倒引当金は法人税法の規定による限度相当額まで計上したが、回収不能見込額の控除をしなかった。
(三) また、相手方は、平成四年ないし六年の各三月期のいずれにおいても、その有するライフボックス株式については評価減を行わなかったが、ライフボックスは、平成七年三月期に、財務体質の強化を図るため、前記のとおり減資を行い、相手方は、その機会にライフボックスの株式について減資相当額一〇億七一〇〇万円の評価減を計上した。
6 ライフボックス竜王店の経営実績の推移
相手方は、平成六年四月から六月にかけてのDIY型ホームセンターへの業態転換後も、営業譲渡による店舗の撤退等を含めて検討したが、営業継続が最も収益改善に効果があると判断されたため、同年九月に平成八年度に営業利益が黒字化することを見込んでDIY型ホームセンターとして営業を継続することに決した。平成四年度と平成六年度等の営業実績の比較は左記のとおりである。
四年度 六年度 七年度
差入保証金 六億五二〇〇万円 三億一八〇〇万円
賃料支払額 一億三七〇〇万円 六九〇〇万円
人件費 二億〇九〇〇万円 八九〇〇万円
売上高 二一億四七〇〇万円 六億九四〇〇万円 六億四〇〇〇万円
営業損失 一億六六〇〇万円 一億五二〇〇万円 三九〇〇万円
粗利益率 一九・五% 二三・〇% 二七・〇%
営業総利益率 二二・〇% 三五・三% 三九・二%
7 相手方自体の経営状態
相手方の各事業年度における当期純利益は、次のとおりである。
平成三年三月期 二七億二六〇〇万円
四年 二八億九七〇〇万円
五年 二三億八三〇〇万円
六年 一五億四二〇〇万円
七年 三億三一〇〇万円
(一四億〇二〇〇万円)
( )内は、ライフボックスの株式評価損一〇億七一〇〇万円を計上する前のもの。
二 検査役選任制度について
1 株主は、企業の実質的所有者として会社を支配する地位にある。すなわち、株主は、株主総会において議決権を行使して会社の基本的事項を決定するほか、株主代表訴訟提起権、取締役の違法行為差止請求権等によって取締役の業務執行を監督是正する権能を有するが、そのためには、会社の業務及び財産の状況について詳細かつ正確な情報を得る必要がある。そこで、商法は、株主に会計帳簿閲覧権(二九三条の六、七)を認めたほか、二九四条一項において、会社の業務の執行に関し不正の行為又は法令・定款に違反する重大な事実があることを疑うべき事由があるときは、発行済株式の一〇分の一以上に当たる株式を有する株主は、会社の業務及び財産の状況を調査させるために、裁判所に検査役の選任を請求することができるものとした。
選任された検査役は、調査の結果を裁判所に報告しなければならず(商法二九四条二項、二三七条の二第二項)、裁判所は、検査役の報告があった場合において、必要があるときは、取締役に株主総会の招集を命ずることができる。右株主総会においては、検査役の報告書を提出すべきものとされ、また、取締役及び監査役は、検査役の報告書を調査して、株主総会に意見を報告しなければならないものとされている(商法二九四条二項、二三七条の二第三項、一八一条三項、一八四条二項)。
2 右の検査役による調査は、それ自体は直接取締役等の責任追及を目的としたものではなく、株主としての会社の業務・財産の情報を得るための制度であり、いわゆるコーポレート・ガバナンスの観点から重視されるべき制度であるが、同時に、裁判所の選任にかかる第三者機関である検査役が会社の業務及び財産の状態を調査し、前記のような法的な手続の前段階となるところの強力な制度でもあるため(濫用による会社運営の阻害のおそれも否定できないし、検査役の選任自体が及ぼす事実上の社会的影響も否定できない。)、その要件としては、単なる経営の悪化や不当な経営判断等の疑いの存在ではなく、不正行為又は法令・定款違反の重大な事実を疑わせる事由があることを要求したものと解される。すなわち、直接責任を追及するための制度ではなく調査のための制度であるから、不正行為等の存在そのものは要求せず、これを疑わせる事由があれば足りるとし(もっとも、主観的な疑いでは足りず、客観的にこれを疑わせる事由が存在することを要すると解される。)、他方、法令・定款違反については重大性を要求したものと解される。また、検査役による調査制度は、会社及び株主保護のための制度であるから、右の重大な法令・定款違反も、形式的な違反では足りず、会社又は株主の利益を害する事実であることを要するものと解される。
三 ライフボックスの事業継続に関し、相手方の取締役について善良な管理者の注意義務違反の重大事実を疑うべき事由の存否について
1 抗告人は、平成四年三月以降、相手方の取締役が事業継続に関する適切な経営判断をせず、損失拡大阻止のための有効な措置をとらないまま漫然と事業を継続し、また、回収可能性の検討や同社の再建策の構築を十分行うことなく、漫然とライフボックスに対して貸付及び増資額の払込を行ったことをもって、善良な管理者の注意義務違反の重大な事実とし、これを疑うべき事由が存在すると主張する。
ところで、本件のような場合に企業としてどのような行動をとるかの経営判断は、流動的かつ不確実な市場の動向の予測等、複雑な要素の絡む事業の将来性の判定の上に立って行われるものであるから、経営者の総合的・専門的な判断力が最大限に発揮されるべき場面であって、経営者の広範な裁量を認めざるを得ない性質のものである。したがって、右のような判断において取締役に善良な管理者の注意義務に違反する事実があるというためには、判断の前提となった事実の認識に重要かつ不注意な誤りがあり、意思決定の過程・内容が企業経営者として著しく不合理、不適切であったことを要するものと考えられ、これらが認められない限り、当該取締役の行為は、取締役としての善良な管理者の注意義務に対する違反があるとはいえないと解される。
そして、商法二四九条一項の要件を満たすためには、このような違反についての重大な事実を疑うべき客観的事由があることが必要である。
2 抗告人は、善良な管理者の注意義務違反として、具体的には、(1) 相手方の取締役は、竜王店の営業が計画とおりの成績を上げないことが明らかになった平成四年三月期以降も、ライフボックスの事業廃止、竜王店の閉鎖を行わず、粗利益率の改善を目的とした対策をとり、ライフボックスに対し多額の貸付け及び増資(合計三七億円)を行ったこと、(2) その対策にもかかわらずライフボックスの純負債額は拡大し、全社的にも、竜王店についても売上が逓減し、売上予測と実績との間に前記(一、3(一))のような多額の差異を生じていること、(3) 相当額の純負債が生じていること、を問題としている。
そこで、相手方の取締役につき、右各事由について、経営者としての善良な管理者の注意義務違反の重大事由を疑うべき事由があったかどうかについて検討する。
(一) 事業の継続・業態の変更等について
(1) 前記認定の事実及び証拠によれば、相手方がホームセンター事業に着手したこと、竜王店を開店した点には、その位置の選択、規模の決定を含め、特に善良な管理者の注意義務違反の事実があったとは認めがたい。
(2) その後、ライフボックスの経営が当初の計画どおりには進展せず、その事業を以後どうするかという決断を迫られた平成四年三月以降の局面において、相手方の取締役は、ライフボックスからの撤退も検討したが、結局、業態を変更して事業を継続する方法を選択した。
ところで、この際に、ライフボックスの損益構造又はホームセンター業界の市場環境等に照らし、将来的にも売上高が増加することがなく、販売管理費の削減ができないことが客観的に明らかであったにもかかわらず、相手方の取締役が、安易に売上高が増加し、販売管理費が減少するものと認識して、事業の継続を選択したとするならば、その経営判断の前提となった事実認識に重要かつ不注意な誤りがあったということになる(なお、粗利益率を改善しても売上高が損益分岐点に達しなければ意味がない。)。
しかし、右平成四年三月以降(平成三年度から平成六年度ころまで)の時点では損失が発生していたが、ライフボックスはチェーンストア方式を採るから、一号店開設当初に多額の経費を要するのは当然であって、店舗網が拡大するに従って売上高が伸び、本部経費も吸収される等の効果を生ずるものであるから、右時点ころにおいて、将来的にも売上高が増加することがなく、販売管理費の絶対的・相対的削減が不可能であると即断するのは、相当でなく、むしろこれを期待し得る事業であるということができる。また、右のころにはバブル経済の崩壊後の消費低落が生じていたこともあって事業開始当初の予想以上に損失が発生したが、景気の低迷がその後も長期かつ深刻に継続することは、当時の企業の経営者にとっても必ずしも容易に予測できる状況ではなかったというべきである。したがって、右の時点の経営判断は、まさに、流動的かつ不確実な市場の動向の予測、複雑な要素が絡む事業の将来性の判定にかかる事柄であったということができる。
このような状況において、相手方の取締役は、竜王店の閉鎖も含め、複数の方策を比較検討した結果、チェーンストア方式をとるホームセンター事業の性格等からして、一号店開店後わずか一年九か月の時点ではホームセンター事業が失敗かどうかの結論が出せないこと、その時点で竜王店等を閉鎖したのでは投下した資金の回収不能等の多額の損害が発生すること、ライフボックスのみならず相手方の企業としての信用を失墜するなど相手方の事業全体に著しい悪影響を及ぼす恐れがあることなどを考慮し、撤退は妥当でないと判断した。しかし同時に、従来の業務形態をそのまま継続したのでは状況の改善が望めないが、業態変更を行えば、長期的には経営改善の見込みがあるとの認識判断の下に、経営上の決断として、大きくは二度にわたりライフボックスの業態変更を行い、その後必要な資金を投下したものである。
こうしてみると、相手方の取締役の経営判断について、事実認識の重要かつ不注意な誤りや、判断の過程・内容の特段の不適切の重大事実があったことを疑うべき客観的事由があったとは認めがたい。
(二) 売上予測と実績の間の差異について
売上に関する予測と実績の間には、前記のとおりの差異があり、予測の甘さがあったとみることもできなくはない。
しかし、前記認定事実及び一件記録によると、売上予測を立てた期中に次のとおりそれぞれ事情の変化があった。すなわち、平成四年度については、四年四月にバラエティ型ホームセンターに変更したこと、甲府店の開設を延期したことがあり、平成五年度については、五年七月に竜王店を縮小したこと(これに伴い売上高が一〇億円減少した。)、同年八、九月に江南店、境町店を開設したことがあり、平成六年度には、六年四月ないし六月に業態をDIY型ホームセンターに変更したことが挙げられる。
これらの中には、相手方自身の採った方策もあり、当然予測に織り込んでおくべき事柄もあるが、そうでないものもあり、このような場合に、予測と売上実績に違いがあるのはやむを得ない面がある。また、当時、深刻な景気の低迷が長期化することが一般的に予測しがたかった点も指摘することができる。
したがって、右の売上予測と実績の差異をもって、売上予測作成時に、取締役の認識の重要な誤り又は意思決定の過程・内容における企業経営者としてとくに不合理・不適切な判断の重大な事実があったことを疑わせる客観的事由があるということは、いまだできないというべきである。
(三) 純負債額の増加について
ライフボックスは未だ倒産していないから、相手方が、平成三年度以後にライフボックスの事業に投下した資金三七億円全額について損失を被ったと断ずることは適当ではないが、ライフボックスが平成六年度に九割減資を行い、これに伴い、相手方がライフボックスの株式につき、一〇億七一〇〇万円の評価損を計上したのであるから、相手方は、短期的には六億二五五〇万円(出資額の九割として計算した場合。平成四年三月期以前の増資分を全額減資したものとして計算すると五億七六〇〇万円)の損失を被ったことになる(もっとも、このままライフボックスが倒産するに至れば、相手方には少なくとも右期間内に投下した資金相当額の損害が発生するであろうことは否めない。)。
ところで、相手方の取締役が、平成三年度にライフボックスの純負債一五億円が発生していることを知りながら、何ら対策を講ずることなく漫然と事業を放置していた等の事実が認められるのであれば、善良な管理者の注意義務違反の重大事実を疑う余地があるが、相手方は、前記のようにそれぞれの時点で、経営改善の方策を検討し、その方策のもとに資金を投入したのであるから、単にライフボックスの純負債が増加し、それに応じて相手方がライフボックスに貸付けを行い、同社の増資を引き受けたことから、相手方の取締役につき直ちに善良な管理者の注意義務に違反する重大事実を疑うべき事由の存在が合理的に推認されるとすることはできない。
(四) その他ライフボックスの事業の継続の前提となる事実の認識に重要な誤りがあったことを客観的に疑わせるに足りる事由があると認めることはできないし、相手方のとった対策について意思決定の過程・内容が企業経営者として特に不合理・不適切なもの(しかも重大なもの)があったことを疑うに足りる事実を認めることもできない(なお、前記認定のとおり、事後的に見ても、右対策は一定の効果を上げていると認められる。)。
(五) 竜王店の営業継続についても、右同様、前提となる事実の認識に重要かつ不注意な誤りがあったことを推認させるに足りる事由又は意思決定の過程・内容に企業経営者として特に不合理・不適切なもの(しかも重大なもの)があったことを疑わせる事由は認められない。
3 よって、ライフボックスの事業及び竜王店の営業の継続について、相手方の取締役の善良な管理者の注意義務に違反する重大な事実を疑わせる事由があると認めることはできず、抗告人のこの点に関する主張は採用しがたい。
四 商法二八五条ノ六第三項又は同二八五条ノ四第二項違反を疑わせる事由について
1 商法二八五条ノ六第三項(株式の評価減)違反について
右条項によると、取引所の相場のない株式については、その発行会社の資産状態が著しく悪化したときには当該株式の評価を相当減額しなければならないとされているが、対象会社の純資産が減少した場合であっても、相当の期間内に回復する見込があると認められるときは、それを前提とした配当政策を採っても、資本充実・維持の原則に反するとはいえず、評価の減額は強制されないと解される。
本件の場合、平成四年ないし平成六年の各三月期において、ライフボックスが債務超過の状態にあったことは確かであり、問題は株式の評価減をすべき資産状態の悪化であったという疑いがあるか、あるいは相当の期間内に回復する見込があると認めることができない疑いがあるかである。
対象会社が債務超過の状態であったとしても、それが事業開始に当たっての事業計画及びその後の再建計画で予定された資金投下の結果であるとすれば、債務超過が実質的には資本の欠損と見られることがあり、また、資産状態の回復の見込の判断に当たっては、その事業計画及び再建計画の存在を考慮しなければならない。資金投下が、右各計画上、会社の資産状態が相当の期間内に回復する見込があるとしてなされたものであれば、右事業計画又は再建計画が不合理であればともかく、債務超過の一事をもって、会社の資産状態が著しく悪化したものとはいえない。
ライフボックスは、相手方が長期的な展望に立ち商業集積の柱となる新規事業の開拓を目的として設立した株式会社ではあるが、相手方の全額出資子会社であるため、その初期資本は一億円でしかなく、借入過多・資本過小の形態をとっていた。そのため数度の増資を経た平成四年ないし六年の各三月期においても債務超過となっていたが、債務のほとんどがライフボックス設立の目的及び同社再建の目的に沿った資金投下(相手方からの借入及び相手方の保証による金融機関からの借入れ)の結果である。そして、既に検討したように、ライフボックスの設立はもとより、再建計画(相手方が積極策を採ったこと)も、これをもって著しく不合理であると疑うことができないから(前記三)、右各三月期においてライフボックスは債務超過状態にあるのに、相手方は株式の評価減を行っていないけれども、この点をもって、相手方の業務執行に関し法令(商法二八五条ノ六第三項)に違反する事実があることを疑うべき事由があると認めることはできない。
2 商法二八五条ノ四第二項(取立不能見込債権額の控除)・公正な会計原則(貸倒れ引当金の計上)違反について
商法の右条項に定める取立不能のおそれあるときとは、債務者の資産状態、取立てのための費用及び手続の難易などを総合し、企業関係者の通常の判断に従って回収不能のおそれがあるときをいうものと解される。
この場合、債務者の資力が重要な要素であるから、貸付先が債務超過の状態にある場合には、一般に債権の回収不能のおそれがあるか否かを検討すべきであることは当然であるが、本件の場合は、前記1に述べたのと同様、各三月期の債務超過をもっていまだライフボックスに対する債権の回収不能のおそれを疑わせる事由とすることはできないのであって、右の時点で貸倒引当金を計上せず、当該債権の評価減を行っていないからといって、相手方の業務執行に関し法令(商法二八五条ノ四第二項、公正な会計原則)に違反する事実があることを疑うべき事由があると認めることもできない。
3 なお、商法二八五条ノ六第三項又は同法二八五条ノ四第二項に基づく資産評価が利益処分を基礎づけることからすると、右各条項に違反する事実が常に商法二九四条一項の予定した「重大な事実」に該当しないとまでは断じ難いが、本件の場合は、仮に右各条項に違反する事実があったとしても、相手方には評価減を明らかに上まわる留保利益があり、利益処分は可能であったから(甲八ないし一〇)、単に右各条項違反の事実だけでは「重大な事実」には該当しないものと考えられる。
五 結論
以上のとおり、相手方の業務執行に関し、法令又は定款に違反する重大な事実を疑うべき事由のあることを認めることはできないから(なお、不正行為又は重大な忠実義務違反行為の疑いも認めがたい。)、本件申請は却下を免れない。
よって、原決定は相当であって、本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 岩井俊 裁判官 小圷眞史 髙野輝久)
<以下省略>